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哲学者から学ぶ読書のコツ|ショーペンハウアー『読書について』

By KANTA YAMAGATA4 min read

実存主義の先駆者あるいは厭世哲学者などの異名を持つ19世紀ドイツの偉大な哲学者ショーペンハウアーは、読書をどのように捉え、どのように行っていたのでしょうか。この疑問に対する彼の答えは、日々莫大な情報が生み出されるデジタル時代にますます重要度を増しています。読書を習慣にされている方は読書態度のチェックとして、読書をこれからしようという方は読書の心構えや本の選び方について参考にされてはいかがでしょうか。

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今回は、岩波文庫から出ている『読書について』を参考として、合わせて収められている「思索」と「著作と文体」からも引用しながらご紹介していきます。

理想の読書

本書の結論を先にご紹介するなら、それは「多読は慎むべき」でしょう。人生で読書に費やす時間は短いに越したことはないという意味です。この主張の大前提として人生は短いという認識がショーペンハウアーにあります。もし、人生は短いと考えられていない場合、本書のアドバイスは大して有意義ではないでしょう。

彼が「多読は慎むべき」と考える背景には、思索する、すなわち自分で考えることについての彼の考え方があります。彼は自分で考えることを思索と呼びます。そして、彼は自らの経験から思索して獲得した思想と、読書から得た思想はまるで別物だと考えています。

もともとただ自分のいだく基本的思想にのみ真理と生命が宿る。(中略) 我々自身の精神の中にもえいでる思想はいわば花盛りの春の花であり、それに比べれば他人の本から読み取った思想は石にその痕をとどめる太古の花ようなものである

紙に書かれた思想は足跡以上のものではない。歩行者のたどった道は見えるが、歩行者がその途上でなにをみたかを知るには自分の目を用いいなければならない

読書から得た思想の価値は、自身の経験から得た思想に比べれば遠く及ばないという考えがあるわけです1。そしてこの考えが前提にあるからこそ、次の有名な皮肉が出てくるわけです。

読書とは他人にものを考えてもらうことである

さらにショーペンハウアーは、読書は精神に思想を押し付け、精神から弾力性を奪うと注意します。まる1日を読書に費やす勤勉な人間は、精神が使い古され弾力を失ったゴムのように次第に自分でものを考える力を失っていくというわけです。ここから、多読は慎むべきという結論が出てきます。

読書は自分の思想の湧出がとだえたときにのみ試みるべき

ショーペンハウアーは読書を否定してはいません。しかし、思索、すなわち自分で考えることがまず先にあるべきで、読書が思索を上回ってはいけないと警告しているのです。

また、ショーペンハウアーは経験による思索を重視していますが、経験を手放しにすすめているわけではありません。単なる経験も読書と同じように思索の補いにはなりえないとし、思索なくして経験に意味はないと比喩で伝えています。

単なる経験と思索の関係は、食べることと消化し同化することの関係に等しい

本の選び方

まず思索することを心がけたが、思想が湧きづらくなってきたと感じたとします。ここで読書が代替行為として選択肢になるわけですが、そのとき、どのようにして本を選べばいいのでしょうか。この問いに対してショーペンハウアーは実践的な助言を与えています。

まず前提となる助言からご紹介すれば、それは読まずに済ます技術が非常に重要だというものになります。また読まないことをすすめるのかと呆れられたかもしれませんが、これには当時のドイツ出版業界の状況に対するショーペンハウアーの激しい怒りが反映されています。

ショーペンハウアーによれば、当時の出版業界では古典を解説した新刊や、ドイツ語を簡略化した書物、抽象に留まった中身のない哲学書などが溢れていたようです。特に、フィヒテ、シェリング、ヘーゲルを名指しで、逃げられるように曖昧または抽象的な表現を好む知的賤民と批判している他、評論雑誌が読者のためではなく、出版業界のためにお金のために批評していると怒りを表しています。そして、まず匿名を廃止することが文学を救う道だと訴えています。

彼らを下劣と攻撃せよ

ショーペンハウアーは人生を短いと考えているわけですから、当然、人々の貴重な時間すなわち命を奪って金や権力を得ようとするこうした行為を許せなかったのです。そのため、本を選ぶ際には悪書から自分を守る術を身につけることが必要だというわけです。具体的には新刊を読むなと助言しています。

ショーペンハウアーは著作家を、事柄そのもののために書く人と、書くために書く人、つまり金や名声のために書く人に二分します。ショーペンハウアーには偉大な作品は無報酬あるいはごく少額で書かざる得なかったときに生まれているという考えが背景にあるため、後者だと気づいたならすぐに捨てるべきだと助言しています。

結論としてショーペンハウアーはいわゆる古典だけを読むべきだと主張します。古典の定義はなされていませんが、あらゆる時代あらゆる民族の生んだ天才の作品、良書とだけいえば誰にでも通ずる作品、重大な問題についての創始者のもの、などと説明されています。

新しきものの善きものたることは稀なり。善きものの新しきものたること、つかのまにすぎざればなり。

ショーペンハウアーはもう1つ有益な観点を提供してくれています。それは、ある有名な本が、素材のためなのか、思索のためなのかという観点です。ショーペンハウアーは思想の価値は素材(思索の対象)と思索(素材に与える形式、加工)の2つの要因に左右されると説明します。

ショーペンハウアーによる本の分類
ショーペンハウアーによる本の分類

結論としては、素材が陳腐で思索が優れているのが読むべき良書というわけです2。ショーペンハウアーは、一般読者の素材に向ける関心は形式に向けるよりもはるかに強く、彼らの教養の発達が遅れるのはそのせいであると批判します。ゲーテの作品に触れて、作品を生み出すきっかけとなった実際の出来事や私的環境を探り、『ファウスト』ではなくゲーテやファウスト伝説について研究しだすことを具体例として挙げています。特に、価値を形式に置くはずの領域、詩の領域では絶対禁物であるにもかかわらず、素材で劇場を満員にしようとする低劣な劇作家は後を絶たず、彼らは有名であれば誰でも主人公にすると怒りをあらわにしています。今の日本の映画やドラマをショーペンハウアーが見たら発狂してしまいそうですね。

本の読み方

最後は本の読み方についてです。ショーペンハウアーは読書そして経験よりも思索を重要視しています。食物が食べることによってではなく、消化によって生物を養うように、思索を経なければそれらに意味はないわけです。精神的食物も普通の食物と変わらず50分の1も栄養となればいい方だとまで言っています。

そのため、本を読む際には自らの仮説をまず持って臨むことがまず必要になります。これは当然といえば当然のことではありますが、自分の考えを言語化し、例えばノートなどに書き留めてから読み始めるという人は多くはないのではと思います。

何人も判断するよりはむしろ信ずることを願う ― セネカ

それからもう1つのすすめは、続けて2度読むというものです。これは2度目は内容のつながりをよくでき、より深い理解ができることが理由に挙げられています。時間を空けて繰り返し読む人は多いかもしれませんが、続けて2回読むとなるとそこまで実践者は多くはないのではないでしょうか。

二度目になると、その事柄のつながりがより良く理解されるし、すでに結論を知っているので、重要な発端の部分も正しく理解されるからである。さらにまた、二度目には当然最初とは違った気分で読み、違った印象をうけるからである。つまり1つの対象を違った照明の中で見るような体験をするからである

以上より、読み方のすすめをまとめれば、自説を持って読書に臨み、続けて2度読むとなります。

あとがき

哲学書というと独特の難解な専門用語が登場し厄介な印象がありますが、本書は明快で読みやすいことが多く読まれ続けている理由の1つだと感じました。また、コウモリの耳を羨ましがったり、タイトルをパクられた怒りをぶちまけたりするなど、ショーペンハウアーという哲学者をとても身近な1人の人間と感じられる点も本書の隠れた魅力かもしれません。この記事の読者の1人でも多くが、ショーペンハウアーの言葉で実際に『読書について』を読んでみてくだされば本記事は成功です。貴重なお時間ありがとうございました。


  1. 思索して獲得した思想と読書から獲得した思想は本当に区別できるか、読書ではなく先生から教えられた思想ならどうか、先人から思索の元となる足場あるいは型を受け継がずに思索はできないのではないか、などの疑問が個人的には浮かびます。本書9ページで自ら思索し獲得した真理は消滅しないと言っていますが、21ページでは思想は恋人のように消えると言っており、真理と思想の違いはあるものの、2つの思想の区別は曖昧に感じられます。また、場合によっては小説の世界が、現実世界以上にいきいきと迫ってくること経験となることもあるのではないでしょうか。ショーペンハウアーの時代には想像もできなかったことかもしれませんが、積み上げ式に世界に対する理解を深めている科学はある程度うまくいっているのではないかとも思います。

  2. 素材がキャッチーで思索が優れているのも良書でしょうが、悪書であるリスクが最小という意味で素材が陳腐で思索が優れているものを勧めているのでしょう。

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KANTA YAMAGATA

Creative Director, Cantas

山形 敢太。1992年生まれ。コンセプト・戦略・UX・UIのデザインから、フロントエンドエンジニアリングまでを担当。CyberAgentにてAbemaTVのデータサイエンス兼マーケティング担当。イノベーションコンサルティングファームi.labにて、業界大手の新規事業立案案件やブランディング案件に従事。

KANTA YAMAGATA

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